「タンパク質はしっかり摂っているのに、気分が安定しない」
「糖質を減らしたら、なぜかイライラしやすくなった」
こうした経験は、決して珍しいものではありません。
実は、メンタルの安定は何を食べるか以上に、脳がそれをどう使えるかで決まります。
気分やストレス耐性を支えているのは、意志の強さではなく、脳内で働く神経伝達物質、セロトニンです。ただし、セロトニンは食事から直接補えるものではありません。必要なのは、脳内でセロトニンを作るための材料と条件を整えることです。
特に日本人は、遺伝的にストレスの影響を受けやすい傾向があり、食事の乱れがメンタルに反映されやすいと考えられています。だからこそ、食事は単なる栄養補給ではなく、心を支える土台になります。
今回は、セロトニンが体内でどのように作られるのか、なぜトリプトファンだけでは足りないのかを、科学的な視点から解説していきます。
トリプトファン → セロトニン → メラトニン:心と睡眠をつなぐ一本の流れ
セロトニンは、必須アミノ酸であるトリプトファンから作られます。トリプトファンは体内で合成できないため、必ず食事から摂取する必要があります。
体内での流れは以下の通りです。
→ 5-ヒドロキシトリプトファン(5-HTP)
→ セロトニン
→(夜間)メラトニン
セロトニンは日中の「心の安定」や「ストレス耐性」を支え、夜になるとメラトニンへと変換され、睡眠を促します。つまり、日中の食事内容が、その日の夜の眠りにも影響するということです。
日本人の食事摂取基準(2020年版)では、トリプトファンの推奨量は明確には定められていませんが、一般的には
体重1kgあたり約4mg/日
が最低限必要とされます。体重60kgの人であれば、約240mg/日が目安になります。
例えば、
といった具合に、通常の食事で十分に到達可能な量です。ただし、後述する条件が整わないと、脳内合成はうまく進みません。
炭水化物の役割:トリプトファンを「脳に届ける」ために必要な存在
意外に思われるかもしれませんが、セロトニン合成には炭水化物(糖質)が重要な役割を果たします。
トリプトファンは、血液中で他のアミノ酸(BCAAなど)と競合しながら脳に運ばれます。炭水化物を摂取するとインスリンが分泌され、競合するアミノ酸が筋肉に取り込まれるため、相対的にトリプトファンが脳に入りやすくなることが分かっています。
そのため、
-
タンパク質+少量の炭水化物
という組み合わせが、セロトニン合成にとって最も効率的です。
具体的な目安としては、
-
1食あたり糖質40〜60g程度
これは、
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ご飯お茶碗1杯(150g)=約55g
-
食パン6枚切り1枚=約26g
に相当します。極端に糖質を避けてしまうと、トリプトファンが十分に脳へ届かなくなります。
ビタミンB6の役割:セロトニン合成を支える補助因子
トリプトファンがセロトニンへ変換される際には、ビタミンB6が必須です。ビタミンB6は酵素反応の補酵素として働き、不足するとセロトニン合成効率が低下します。
日本人の食事摂取基準(2020年版)では、
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成人男性:1.4mg/日
-
成人女性:1.2mg/日
が推奨量とされています。
ビタミンB6を多く含む食品には、
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鶏むね肉(100g):約0.6mg
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まぐろ赤身(100g):約1.0mg
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バナナ1本:約0.4mg
などがあり、意識すれば不足は防ぎやすい栄養素です。
なぜ「タンパク質だけ」では足りないのか
「メンタルにはタンパク質が大事」という話を聞いたことがある方も多いでしょう。確かにトリプトファンはタンパク質に含まれますが、タンパク質だけを大量に摂っても、セロトニンは効率よく作られません。
理由は2つあります。
1つ目は、先述したように、炭水化物が不足するとトリプトファンが脳に入りにくくなること。
2つ目は、タンパク質に含まれる他のアミノ酸が、トリプトファンと競合してしまうことです。
つまり、
「高タンパク・極低糖質」
という食事は、筋肉づくりには向いていても、メンタル安定の観点では必ずしも最適ではない場合があります。
極端な糖質制限がメンタルに与える影響
近年人気のある極端な糖質制限(ケトジェニックダイエットなど)は、短期的には体重減少や血糖改善をもたらすことがあります。しかし、精神面への影響については注意が必要です。
複数の研究で、低炭水化物食は気分の落ち込み、イライラ、不安感の増加と関連する可能性が示唆されています。これは、セロトニン合成低下や脳内エネルギー不足が関与していると考えられています。
特に、
-
ストレスを感じやすい人
-
不眠傾向のある人
-
日本人のようにSアレル保有率が高い集団
では、糖質制限の影響が出やすい可能性があります。
セロトニン合成を支える「現実的な目安」
ここまでをまとめると、セロトニン合成を支えるための基本的な目安は以下の通りです。
完璧に守る必要はありませんが、「偏らないこと」が何より重要です。
まとめ:セロトニンはバランスの産物
セロトニンは、単一の栄養素で増えるものではありません。
トリプトファン・炭水化物・ビタミンB6がそろって初めて、脳内で安定して作られる物質です。
「タンパク質だけ」「糖質ゼロ」といった極端な方法よりも、
無理のないバランスの取れた食事こそが、メンタルを安定させる最も確実な近道です。
次回は、セロトニンを乱してしまう食事パターンについて詳しく解説します。
引用文献
・Young SN. How to increase serotonin in the human brain without drugs. J Psychiatry Neurosci. 2007.
・Fernstrom JD. Large neutral amino acids: dietary effects on brain neurochemistry and function. Amino Acids. 2013.
・Gibson EL et al. Effects of macronutrient composition on mood and cognition. Proc Nutr Soc. 2018.
・Haroon E et al. Inflammation, tryptophan metabolism, and mood disorders. Brain Behav Immun. 2012.
・厚生労働省. 日本人の食事摂取基準(2020年版)