「集中していたのに急にやる気が切れる」「夜にスマホを見ながらつい眠れなくなる」――そんな経験は誰にでもあるでしょう。
実は、これらの心と体の乱れの背景には、脳内物質であるセロトニンの働きが深く関係しています。
セロトニンは、感情・睡眠・集中力・ストレス耐性などをコントロールする脳の調律役。
仕事におけるパフォーマンスや人間関係の安定、そして生活リズムを整える上で欠かせない存在です。
しかし現代社会では、長時間労働・人工光環境・スマホ中心の生活により、セロトニンの分泌が低下しやすくなっています。その結果、メンタルの不調や集中力の低下、睡眠障害など、仕事の質を下げる要因が増えているのです。
本記事では、生物学的な知見に基づきながら、
セロトニンの仕組み(解剖生理)
セロトニン量の多い/少ないで起こる人の反応
セロトニンを整えるための具体的な方法
この3つの視点から、働く人の脳と身体を守るための実践的ヒントを紹介します。
セロトニンの解剖生理学 ― 脳と身体をつなぐ安定ホルモン
セロトニンは、正式には5-ヒドロキシトリプタミン(5-HT)と呼ばれる神経伝達物質です。
脳内では、神経細胞の間で情報を伝えるメッセンジャーとして働き、感情の安定・睡眠・食欲・痛みの制御・自律神経の調整など、多岐にわたる機能を担います。
セロトニンが最も多く存在するのは、脳幹の中の縫線核と呼ばれる領域。ここから全脳へセロトニン神経が枝分かれし、他の神経伝達物質であるドパミン(意欲)やノルアドレナリン(緊張・警戒)のバランスを調整しています。
つまり、セロトニンは脳全体の「バランスを取る指揮者」のような存在です。
さらに驚くべきことに、体内のセロトニンの約90%は腸に存在しています。腸の蠕動運動を促し、免疫細胞の働きにも関与しています。そのため「腸は第二の脳」と呼ばれ、腸内環境の乱れがメンタル不調につながることも知られています。
セロトニンの材料は、必須アミノ酸トリプトファン。
肉・魚・卵・大豆・ナッツなどに多く含まれ、ビタミンB6やマグネシウム、鉄とともに代謝されて脳内で合成されます。したがって、栄養バランスの悪い食事はセロトニン不足を招く大きなリスクです。
セロトニン量の多い/少ないで変わる人間の反応
セロトニンの量は遺伝的要因に加え、生活習慣・ストレス・睡眠・運動などで大きく変動します。その結果、仕事や人間関係における反応にも明確な違いが生じます。
● セロトニンが十分なとき
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感情が安定し、ストレス耐性が高い
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集中力・判断力が高まり、冷静な対応ができる
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睡眠リズムが整い、朝の目覚めがスッキリ
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コミュニケーションが穏やかで、職場の雰囲気も良い
セロトニンが多い状態では、脳内ネットワークがスムーズに働き、感情の波が小さくなります。まさに「心のクッション」として、日々のストレスや刺激から私たちを守ってくれるのです。
● セロトニンが不足しているとき
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不安、イライラ、焦りが強くなる
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ミスが増える、集中が続かない
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睡眠の質が低下し、朝起きられない
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甘い物・アルコールへの依存傾向が強まる
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肩こり、頭痛、胃の不調など身体症状が出る
セロトニンが減ると、脳内でドパミンやノルアドレナリンが過剰に働き、情緒が不安定になります。
特に「忙しさで朝日を浴びない」「運動不足」「睡眠リズムの乱れ」は三大要因。これらが重なると慢性的なセロトニン欠乏(セロトニン・ディフィシット)に陥り、メンタル不調や疲労感の背景となります。
セロトニンのバランスを整えるための具体的アプローチ
セロトニンは薬だけでなく、日常生活でも自然に増やすことが可能です。
研究では、「光」「リズム運動」「栄養」「人間関係」「マインドフルネス」の5要素が有効とされています。
(1)朝の光を浴びる
朝起きて10分〜15分ほど太陽光を浴びると、脳幹のセロトニン神経が活性化します。
光刺激が体内時計をリセットし、夜には睡眠ホルモン「メラトニン」の分泌を促進。
朝の光 → セロトニン活性化 → 夜のメラトニン分泌 → 良質な睡眠
室内でもカーテンを開けて自然光を浴びるだけでも効果があります。
(2)リズム運動をする
一定のリズムで身体を動かすと、セロトニン神経が直接刺激されます。
ウォーキング、咀嚼、呼吸法、ヨガ、ラジオ体操などはすべて有効。
特に「1日15分のリズムウォーキング」は科学的にも効果が確認されています。
(3)栄養を整える
セロトニンの原料となるトリプトファンを多く含む食品を摂りましょう。
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豆腐、納豆、卵、チーズ、ナッツ、バナナ、鮭など
また、変換に必要な**ビタミンB6(マグロ、にんにく)、鉄(赤身肉)、マグネシウム(ナッツ、ほうれん草)**も同時に摂ることが大切です。
(4)人とのつながり
「ありがとう」「お疲れさま」などの何気ない会話やスキンシップは、脳内でセロトニンを分泌させます。
特に共感・アイコンタクト・笑顔は科学的にもセロトニン活性化に関与していることがわかっています。孤独はセロトニンを低下させる最大の敵です。
(5)マインドフルネス瞑想
マインドフルネス(Mindfulness)は、呼吸や今この瞬間に意識を向けることで脳の過剰な興奮を鎮めます。
わずか5分でもセロトニン神経の活動を高め、自律神経のバランスを整える効果が報告されています。
セロトニンは「働く力」を生み出す調律者
セロトニンは単なる“幸せホルモン”ではなく、感情・集中力・睡眠・免疫・自律神経などを支える「働くための基盤」です。
現代の働き方ではセロトニンを消耗しやすい環境にありますが、光・運動・栄養・つながりといった小さな習慣で回復させることが可能です。
セロトニンを整えることは、「自分のコンディションを科学的にデザインする」ということ。
ストイックさではなく、脳の生理リズムを味方につけることこそ、持続可能な働き方の鍵なのです。
【参考文献】
Jacobs BL, Azmitia EC. Structure and function of the brain serotonin system. Physiol Rev. 1992;72(1):165–229.
Nakamura K, Nakamura Y. Serotonergic system and stress: An overview. Biochem Biophys Res Commun. 2015;460(1):88–92.
Young SN. How to increase serotonin in the human brain without drugs. J Psychiatry Neurosci. 2007;32(6):394–399.
加藤忠史『セロトニン脳―ストレスに強い脳をつくる』NHK出版, 2010.
厚生労働省「こころの健康づくり」ガイドライン(2023年改訂版)